現在ちまたに出回っている『完訳 グリム童話集』などと書かれているものは、たいていがグリム童話の第7版にあたるものです。
第7版とは、グリム兄弟が最初に作ったグリム童話を何度も書き変えて、やっとできあがった最終形態です。
そしてこの最終形態である第7版が、グリム兄弟が生きているうちに出版された最後の版でもあります。
そしてあなたもウワサを耳にしたことがあるかもしれないグリム童話の初版。これがいわゆる「怖いグリム童話」です。
その描写の残酷さゆえに、強い批判をあびて何度も書き直すハメになってしまったわけです。
「子ども向けに編纂したはずのグリム童話がなぜこんなに残酷なんだ!」と、当時はたくさんの親たちが悲痛な叫びをあげていたことでしょう。
では実際のところ、この初版と現在わたしたちが読むことのできる第7版とでは、どんな違いがあるのでしょうか?
今回はグリム童話の初版から第7版への変わりっぷりについて、主なポイントにちょっと触れてみたいと思います。
実の母が、まま母に
まず、「実の母親」が「まま母」に変わっていることがポイントとしてあげられます。
これは怖いグリム童話のイメージにつながってくるものでしょう。
グリム童話の中で悪事を働く母親が、初版では実の母であったものが、最終的に 「まま母」になっています。
継母、つまり血がつながっていないわけですね。
たとえば、有名なお話のひとつ、KHM015『ヘンゼルとグレーテル』では、ヘンゼルとグレーテルを森の中へ置き去りにさせようと画策する母親は、初版では実の母親でした。
KHM053『白雪姫』でも、「鏡よ鏡…」で有名なあの恐ろしい魔女は、実は白雪姫のほんとうの母親だったという設定になっていたのです。
これも最終的には「まま母」に切り替わっています。
たしかに『白雪姫』みたいに、実の娘をリアルにあやめようとしたり、ラストで逆にあやめられてしまうなんて話は、今の世界で起きたら歴史に残るニュースとして取り上げられるかもしれません。
「娘を消し去ろうとしたら、逆に消されました」……なんとも切ない話(?)です。
やはりこういった話で実の母が悪者になっていると、教育上よろしくないというか、そもそも子どもに読み聞かせる話なので、実際に読んでいる母親らが文句を言うのも自然なことですね。
子どもに読みきかせている母親が、いきなり「お母さんは娘にあげるリンゴに毒を仕込みました」なんて読み始めたら、寝ながら聞いている子どもはリンゴを一生食べられなくなるかもしれません。
まったく野暮な話です。
そんなわけで、せめて血のつながりのないまま母にしておけば、多少怖くなっても許せるのでは……ということで、現在のグリム童話の悪者はたいていの場合、まま母であることが多いです。
エロさがなくなった
初版からなくなったものは、何も「恐怖」や「残忍さ」だけではありません。
「エロさ」も薄れています。
「グリム童話からエロさがなくなった」というのは、性的な行動を連想させる表現が減ったということです。
とりわけ、ヨーロッパのキリスト教圏では、19世紀あたりなんかは性描写にうるさかったと言われています。
性を語る人間なんて道徳に反してる!と思われていたわけです(と言いながら、実際には裏で語り合っていたのですが……)。
結局これも恐怖と同じ理由で、教育上よろしくないというのが大前提に合ったわけですね。
KHM012『ラプンツェル』では、初版ではラプンツェル姫が妊娠しているような描写があったり、KHM001『かえるの王さま、あるいは鉄のハインリヒ』でも、お姫様が王子様とくっついて寝たという描写もあります。
ところどころにある、ちょっとした性的なものをイメージさせる書き方が緩和されているということです。
初版よりも話が説明的
グリム童話の第7版は、初版よりも各話のストーリー進行が説明的な感じになっています。
カンタンに言ってしまえば、初版はよくわからない話の進み方だったのが、第7版ではよりわかりやすく、くわしく描かれているということです。
だから単純に、文字数も増えています。
また、描写の一つ一つを論理的にするため、行動の理由がくわしく述べられるようになりました。
たとえば、KHM001『かえるの王さま、あるいは鉄のハインリヒ』では、お姫様がマリで遊ぶシーンがあります。
初版ではただマリで遊ぶと描かれているところへ、なぜマリで遊ぶのか、その理由がつけ加えられていたりするわけです。
そもそもなぜお姫様は森の中の泉の近くにいるのか、という理由も描かれます。
このように、いかにも童話らしい理由づけをしない描写だったのが、第7版になる頃にはもっと説明的なものになったということです。
まとめ
ということで、グリム童話の初版と最終版の主だった変化を見てみました。
一般的に「グリム童話初版=怖い」というイメージがあると思いますが、それ以外にも変わっていることはあります。
版が進むにすれて、「怖さがなくなった」というよりは、「描写や表現がより適切になっていった」と言ったほうがいいかもしれません。
第7版まで来て、ようやく子ども向け童話集らしくなったということですね。
しかしそれでも、やはりグリム童話には恐ろしい場面や残酷な描写がまだまだ残っています。
そういった描写が、子どもを教育する、いわば「戒め」的なものを教える役割を果たしているのでしょう。
「初版は怖い話なんだ」という認識ではなく、「描写のしかた」に着目して読んでみると、けっこうおもしろいかもしれませんね!