ラプンツェルの原作は怖い?ディズニー版とグリム童話集の違いは?

ディズニー映画にもなった『ラプンツェル』の原作が、グリム童話集の一部であることをご存じだろうか?

グリム童話集というと、全部の話が怖いようなイメージを持たれる人も少なくないだろう。

グリム童話KHM012『ラプンツェル』も、本当は怖い話なのだろうか。

 

今回は、ディズニー版グリム童話版を比較しながら、「原作のラプンツェルがはたして怖いのか」に注目してみたいと思う。

 

ラプンツェルはお姫様じゃない

ディズニー版では、ラプンツェルはある国の王様とお妃様の間に産まれたれっきとしたお姫様である。

つまり、白雪姫眠り姫と同様、ディズニーラプンツェルは、お姫様が悪者(ラプンツェルの場合は魔女)を倒して幸せになるプリンセスストーリーなのである。

そして、おとぎ話のハッピーエンドにふさわしく、最後は好きな人と結ばれる。

 

白雪姫眠り姫と違うところは、ラプンツェルの恋の相手が王子様ではなく、泥棒であるという点である。

しかも、二人は一目ぼれではなく、物語が進むにつれ、徐々にお互いに惹かれあっていく。

その二人の様子に、大人の女性でもついキュンキュンしてしまうのである。

 

さすがディズニー

乙女心をつかむ工夫が満載である。

 

対して、グリム童話集では、ラプンツェルはお姫様ではない。

子どもに恵まれない普通の夫婦がやっと授かった一人娘である。

恋のお相手が王子様なので、ある意味シンデレラストーリーといえるかもしれない。

 

ラプンツェルという名前は、植物のラプンツェル(日本名:野ヂシャ)からつけられた。

ヨーロッパでは、その葉がサラダとして食べられている野菜だ。

日本ではなじみがないが、スイカズラ科で小ぶりな花が咲く。決して華やかな花ではない。

 

ディズニー版では、金色に輝く魔法の花がたびたび登場し、ラプンツェルはいわばその花の化身のような存在である。

しかし、実際のラプンツェルの花は金色でも黄色でもなく、ディズニー映画に登場する花とは全く別物である。

つまり、グリム童話のラプンツェルはお姫様でも、花のように華やかな存在でもなく、普通の夫婦の間に産まれた、普通の女の子なのだ。

 

魔女は約束を守っただけ

さて、そんな普通の両親から産まれた女の子が、どうして魔女にさらわれてしまったのか?

 

ディズニー版では、金色に輝く魔法の花が鍵になる。

ラプンツェルを妊娠したお妃さまは、重い病にかかってしまう。彼女を治すためには魔法の花が必要だった。

魔女は若さを保つためにその花を隠していた。人々は花を探しだし、お妃さまの病気を治す。

そのお妃さまから産まれた娘、ラプンツェルの髪には花の魔法の力がやどる。

その魔力を自分だけのものにするために、魔女ラプンツェルを誘拐する。

そして、彼女を塔の中に18年間も閉じ込めてしまう。

 

魔法の花を独占し、さらに赤ん坊を誘拐、監禁してまで若くありたいと願うこの魔女が、とんでもなく自己中なことがわかるだろう。

他の人とシェアして、みんなで若さを保っても何の害もないと思うが。

 

一方、グリム童話集では、魔女魔法の花を独占しない。

そもそも魔法の花は存在しない。

 

ある夫婦がずっと子どもを欲しがっていて、やっと念願の子どもを授かった夫婦に悲劇がおとずれる。

妊娠中の奥さんが魔女の庭にあるラプンツェル(野ヂシャ)が食べたくて、食べたくて、やつれ果ててしまうのだ。

それこそ、死ぬほど食べたくなった、らしい。

 

妻を愛している旦那は「よし、わかった」と魔女の庭からラプンツェルを盗む。

そのサラダを食べた奥さんは美味しさにすっかり魅了されてしまう。

一度では飽き足らず、妻のためにまたしても夫は盗みに入る。

まさに中毒の世界

 

しかし、今度は魔女に見つかってしまう。

魔女は一度は激怒したものの、夫から事情を聞くと怒りを鎮めて、こう言う。

「そういうわけなら、ラプンツェルをほしいだけ、もっておゆき。だが、1つ条件がある。おまえの妻が産む子どもを、私に渡すのだよ。なに、子どもにはよくしてやるよ。母親のようにめんどうをみてやるからね」

 

恐ろしさのあまり夫はつい約束してしまう。

そして、産まれた子どもに魔女「ラプンツェル」という名前を付けて、約束通り彼女を連れていく。

 

ディズニー版と違い、グリム童話集魔女は他人の土地に咲く花の魔力を独り占めしているわけではない。

自分の庭で手塩にかけて育てた野菜がこっそり盗まれたら、誰だって怒りたくなるだろう。

 

しかも、一度ならず二度も盗みに来るなんて。

放っておいたら、あの夫は間違いなく何度も魔女の庭に忍び入っただろう。

娘のように大切に育てた野菜を盗まれたんだから、相手の娘をもらう権利がある、と魔女は考えたのかもしれない。

そう考えると娘に「ラプンツェル」という名前を付けたのも納得できる。

 

魔女の愛情表現

グリム童話集では、魔女は夫に約束をしている。

「子どもにはよくしてやるよ。母親のように面倒をみてやるからね」と。

では、実際はどうだったのだろうか。

 

たぶんほとんどの人が、ラプンツェルは産まれてからずっと塔に閉じ込められていたと思っているのではないだろうか。

実際、ディズニー版ではそうである。

 

しかし、原作は違う。

 

グリム童話では、ラプンツェル12才になってから塔の中に閉じ込められた。そもそも、赤ちゃんや小さい時に閉じ込められたのでは、塔の窓から垂らすほど髪が伸びていない

しかも、魔女ラプンツェルを塔に閉じ込めたのは、おそらくラプンツェルに対する愛情からだ。

原作では、ラプンツェルが塔に閉じ込められる前に「この世で一番かわいらしい女の子に育ちました」と書いてある。

母親代わりの魔女は、そんなにかわいい娘に変な男がつくことを心配して、まっとうな男が現れるまで塔に閉じ込めることにしたのだろう。

 

しかし、魔女の心配をよそに、ラプンツェルは毎晩のように王子様と密会を重ね、しかも子どもまでつくっていた。

それがわかった時の魔女のセリフが痛々しい。

 

「この罰あたりめ!おまえからそんなことを聞くなんて、なんてこと。あたしゃ、おまえを世間から遠ざけていたとばかり信じていたのに、よくもだましてくれたね」

 

魔女にしてみれば、大切に守っていた、若く(たぶん15歳くらい)かわいい娘に裏切られたのである。

あまりのショックにラプンツェルの髪を切り、彼女を荒野に置き去りにしてしまう。

 

魔女のわかりにくい愛情表現が招いた悲劇。

どんなに愛していても閉じ込めるのは良くないという、最たる例である。

 

奇跡を起こす涙

さて、ここまでディズニー版原作の違いをみてきたが、最後に2つの物語の共通点をあげてみよう。

実は、どちらの物語でもラプンツェルの涙が奇跡を起こしているのだ。

 

ディズニー版では、ラプンツェルの恋人魔女にナイフで刺され息絶えてしまう。

しかし、ラプンツェルが流した涙の中に僅かに残っていた魔力のおかげで、再び息を吹き返す。

まさに奇跡。やっぱりディズニーハッピーエンドを裏切らない。

 

一方、原作ではラプンツェルの涙はさらに奇跡的だ

魔女「おまえは、ラプンツェルの姿を二度と見ることはできない」と告げられた王子様は、絶望のあまり塔からとびおり、盲目になってしまう。

しかし、ラプンツェルの涙王子様の目をぬらすと、元通り目が見えるようになるのだ。

 

もともと魔力を持っていたディズニーのラプンツェルと違い、原作のラプンツェル普通の女の子(のはず)だ。

その涙で目が見えるようになるなんて、奇跡としかいいようがない。

ディズニーに負けず劣らないハッピーエンド

いつの時代でも、世界のどこでも、やっぱり女の涙には魔力がやどるのかもしれない。

 

まとめ

グリム童話集『ラプンツェル』は、必ずしも怖いわけではない。

魔女が自分の欲のためだけにラプンツェルを閉じ込めている分、ディズニー版ラプンツェルのほうがグリム童話より怖いのかもしれない。

 

ディズニー版グリム童話版を比較すると以下のようになる

 

  • ディズニー版→ラプンツェルがお姫様、恋のお相手は泥棒
  • グリム童話版→ラプンツェルは普通の女の子、恋のお相手は王子様

 

  • ディズニー版→魔女はラプンツェルの髪の魔力を独り占めするためにラプンツェルを誘拐する
  • グリム童話版→魔女は盗まれた野菜の代わりに娘をもらう

 

  • ディズニー版→ラプンツェルはずっと塔に閉じ込められている
  • グリム童話版→ラプンツェルは12才になってから塔に閉じ込められる

 

  • ディズニー版でもグリム童話版でも、ラプンツェルの涙が最後に奇跡を起こす。

 

最終的にはディズニー版でもグリム童話版でも、ラプンツェルは恋人と結ばれ、幸せに暮らす。

グリム童話魔女は怖そうなイメージもあるが、物語に登場する魔女が、必ずしも悪とは限らない。

ラプンツェルにとって、魔女は自分の王子様と出会うための、必要条件だったのではないだろうか。

 

ということで、ラプンツェルはむしろディズニーのほうが怖いかも、という結論で締めたいと思う。

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