グリム童話は「本当は怖い?!」のだろうか。
そんな根本的な問いかけを投げかけてくるひとつの童話がある。
その童話とは、KHM004『こわがることをおぼえるために旅にでかけた男』である。
そもそも「怖い」とは何なのかを考えさせてくれるコメディタッチの話だ。
今回は、この童話のいったい何が怖いのかを考えてみよう。
幽霊でぞっとしたい
言うまでもなく、この物語には「こわがることをおぼえるためにでかける」男が登場する。
訳によっては、「怖がることを習いに出かける」などとなっていることもある。
これまでの人生で「怖い」と思った事がないこの男の口癖は、「ぞっとしたい」。
この男、鈍感なのか、勇敢なのか。
コメディタッチで描かれているため気がつきにくいが、実はこの物語、普通の神経を持つ人間にとっては、相当怖いのだ。
この男は、まず教会の番人の元で働くことになる。
ある夜、真夜中に起こされ、「鐘をつけ」と命令される。
男が鐘をつこうとすると、鐘楼の向かいの階段に白い幽霊のようなものが立っていた。
真夜中の教会で白い影。
とくれば、まず間違いなく幽霊だろう。
しかし、この男はそう思わない。
「だれだ」「返事しろ」と何度も話しかけ、しまいには幽霊にとびかかる。
実はこの幽霊、教会の番人だった。
彼は男を脅かそうと、幽霊に変装していたのだ。
結果、番人は階段から突き落とされ、足を一本骨折。
散々な結果にぞっとすることになったのは、むしろ番人だっただろう。
首つり台でぞっとしたい
教会の番人にケガを負わせたため、男は家を追い出される。
彼は、50ターラー(ドイツ銀貨の単位)持って「ぞっとする」ための旅に出た。
途中で知り合った男と一緒にしばらく歩くと、首つり台にやってきた。
知り合った男は、「ぞっとしたい」若者に向かって、この木の下に座って夜までいたら、きっとぞっとすることを習えるはずだ、と言う。
そこで若者は、ぞっとすることができたら、自分の持つ50ターラーを男に支払うと約束した。
若者は、首つり台の下に夜まで座り込んでいた。
真夜中になると、さらに寒くなり、たき火をしても少しもあたたかくならない。
上を見上げると、首つりにされた人たちがぶらぶら揺れてぶつかり合っている。
お亡くなりの体は全部で7体。
吊るされた体がクリスマスのオーナメントのように木からぶら下がっている。
どう考えても怖すぎる。
が、その光景を目にして、心やさしい若者はこう思う。
「下で火のそばにいるのでさえ、こごえそうなのに、ぶらさがってちゃ、さぞ寒かろう」
そこで、彼は木にはしごをかけて1人ずつ下におろしてやり、みんなが暖まれるようにたき火のまわりに座らせた。
ところが、彼らはじっと動かない(当たり前だが)。
服に火が付いて焼けても、若者がどんなに「気をつけろ」と言っても、びくともしない。
若者は怒って、7人をまた元通り吊るして寝てしまう。
次の日、例の男が50ターラーをもらいにやってきた。
彼が「ぞっとすることがわかったろ?」と聞くと、若者はぞっとするどころか、7体が全く動かないことについて文句を言った。
普通に考えたら怖い7体との一夜も、この若者にとっては腹立たしい経験でしかなかった。
ブラックジョークの極みである。
呪われた城でぞっとしたい
さて、とにかくぞっとしたくてたまらない若者の「ぞっとする体験」は、この後さらにヒートアップする。
宿屋に着いた若者は、そこの亭主から呪われた城の話を聞く。
それによると、その城の中に入って三晩眠らずにいさえすれば、ぞっとすることがどんなものかわかるらしい。
しかも、成功すれば、その城の王様の美しい娘と結婚できるという。
しかし、今までの挑戦者たちは、みな帰らぬ人となっている。
そこで若者は王様に願い出て、この試練に挑戦することにした。
暗くなると、若者は1人でお城に入り、火のそばに座っていた。
真夜中になると、部屋の隅から「ウウミャオ!なんて寒いんだろう」という喚き声がする。
そこで、若者は「あほうども!」「こっちに来て、火にあたれよ!」とよびかける。
「あほうども!」って呼びかけるところが普通の神経じゃない。
呼ばれて出てきたのは大きな黒猫2匹。
猫たちは火にあたり、からだが暖まると、トランプをやろうと言った。
若者は、猫たちを工作台にとめると、やっつけて外の池の中に投げ込んでしまう。
すると今度は部屋のあちこちから、真っ赤に焼けた鎖でつながれた黒猫や黒犬たちがわらわら出てくる。
そいつらがあまりにもうるさかったので、若者は手当たり次第に切りかかり、亡骸をまた池の中に投げ込んだ。
犬猫を無差別に手にかけていく若者。
そっちのほうが怖いかも。
こうして若者は無事に1夜目を終えた。
さて、2夜目。
やはり真夜中になるとわめき声がする。
今度はなんと半分になった人間のからだが、煙突から落ちてくる。
目の前にころがった半身に、若者はこう言う。
「おやおや、あと半分はどうした。半分だけじゃ足りないぜ」
すると、あとの半分も落ちてきた。
上半身と下半身がバラバラ落ちてくる。
いや、怖いだろ。
上下のからだがくっつき、おそろしげな男になった。
若者がこの男と席の取り合いをしていると、今度はもっとたくさんの男たちが落ちてくる。
男たちは、ボウリングのようなゲームを始めるのだが、なんとピンの代わりに人間の足の骨を、ボールの代わりに頭蓋骨を使う。
若者は自分も参加することにして、「あんたらの球はでこぼこで、まるくない」と言いながら、頭蓋骨を旋盤にかけてまんまるにけずった。
こうして、若者は人間の骨で男たちとひとしきり遊び、2夜目を乗りきった。
3夜目も、普通の神経を持った人にはかなり怖い。
夜になると、若者の前に、大男たちが棺桶を運んできた。
その中には若者の亡くなったいとこが入っていた。
そこで若者はこの遺体を自分のベッドの中に入れ、一緒に寝ることで、いとこのからだを温めてやる。
しかし、からだが温まり、息を吹き返したいとこは、あろうことか若者の命を奪おうとする。
怒った若者は、いとこを棺桶に押し戻す。
冷たい亡骸と寝る神経。
怖いもの知らずだ。
すると今度は、白くて長いあごひげを生やした大きな老人がやってきた。
老人は若者を脅す。
若者はオノで台をかち割り、その割れ目に老人の顎ひげをはさんでしまった。
捕まえられた老人は泣きながら、命乞いをし、若者を地下室に案内した。
そこには金がどっさり入った箱が3つある。
「この1つは貧乏人のため、もう一つは王様のためのもの、3つ目はおまえのものだ」
と言って、老人は12時の鐘と共に消えていく。
こうして若者は、城を呪いから救い、お姫様と結婚した。
謎のハッピーエンディングだ。
「ぞっとした」
しかし、若者は王様になったあとも相変わらず「ぞっとしたいな!」と言い続けていたので、お妃さまはうんざり。
そこで召使いの女が、「きっと王様をぞっとさせてさしあげますわ」と名乗り出た。
召使いは、小川で小魚を桶いっぱいに捕ってきた。
夜。
お妃さまは、召使いの用意した小魚の入った冷たい水を、寝ている王様にザアッとぶっかけた。
こうして若者は、やっと、「ぞっとする」と叫ぶことができた。
「ぞっとする違い」のオチがついた、まさしくコメディ童話である。
まとめ
今回は、グリム童話らしい(?)ブラックコメディと言うべき童話、『こわがることをおぼえるために旅にでかけた男』を紹介させていただいた。
「怖い」という感覚は人によって違う。
そして、どんなに「怖い」ことでも「怖い」と感じなければ、文字通り怖いものなしなのではないだろうか。
怖いと感じない鈍感さが、ある意味メンタルの強さを引き出すのかもしれない。
そういう意味では、メンタルトレーニングをするのに役立つ教訓を含んだ童話と言えるだろう。
いや、冗談だ。
この童話に登場する「こわがることをおぼえるために旅にでかけた男」は結局のところ、最後まで怖がることはなかった。
しかし、絞首刑になった者たちの下で一晩を過ごしたり、次から次へと獣たちに襲われたり、亡くなったいとこと同じベッドで寝たり、普通だったら「怖い」と感じるようなことばかりやっている。
この若者に打ち負かされた犬猫や、老人にとっては、この男が最も怖い存在だったのではないだろうか。
そう考えると、貧乏人にも金を分け与えることを諭した老人が、なんだか不憫に思えてくる。
「怖がらない=最強」説。
「こわがることをおぼえるために旅にでかけた男」は、相手にとって最も「怖い」男だったということだ。
怖そうで怖くない話↓