シャルル・ペローとは誰?グリム童話には作品提供者がいる

グリム童話は、グリムさんが作った童話ではない。
グリムという名字をもつ兄弟が、ドイツの伝承を集めて編集した童話集、それが『グリム童話』である。
実は、グリム兄弟以前にも、ヨーロッパの伝承を集めて童話集を作った人物がいた。
その人物が作った童話集は『ペロー童話集』と呼ばれている。編集者の名字は容易に想像できるだろう。
そう、ペローという人物が作ったから、ペロー童話集。わかりやすい。
グリム童話と何かと比較されるペロー童話集。
実際、グリム童話の中には、ペロー童話と同じタイトルの作品もいくつか存在する。
今回は、ペロー童話集の編者であるシャルル・ペローという人物と、その童話集についてご紹介しよう。
シャルル・ペローとは?
シャルル・ペロー(1628-1703)はフランスの詩人である。
1628年、フランスのパリで産まれた。
ブルジョワ階級、いわゆるお金持ちのお坊ちゃんである。
4人兄弟の末っ子で、お兄ちゃんたちはそれぞれ、行政官、神学者、建築家となり、それぞれ当代に名をなした人物らしい。
ペロー自身も弁護士になり、高級官吏の道を歩み、1671年にはアカデミー・フランセーズ(フランスの国立学術団体)の会員となっている。
お金持ちで頭いい。なんともうらやましい人物だ。
詩作は学生時代からしていたらしい。
ルイ14世に仕え、時の国王ルイ14世の病気回復を祝って、『ルイ14世の世紀』という詩を1687年にアカデミーで朗読している。
ところが、この詩は当時のえらい作家たちから大批判を受けた。
それもそのはず。
えらい作家たちは古典こそがすばらしい作品だと豪語していた。
いわゆる古典主義だ。
にもかかわらず、ペローは当時が古代ローマに劣らず、作家たちはみんな「古代作家にひけをとらない」という内容の詩を詠んだのだ。
この対決が、ペローの名を一躍有名にした。
かなり先進的というか自由な人物だったのだろう。
ペロー童話集
さて、ペロー童話集は8編の散文(小説みたいな形式)と3編の韻文(詩みたいな形式)からなり、各編の終わりには教訓が添えられている。
これらのお話は最初からペローが作ったものではなく、ヨーロッパ各地から集めた民間伝承を、彼がアレンジしたものである。
グリム童話集と似た感じだ。
ペローは1691年からまず3編の韻文『グリゼリディス』『こっけいな願い』『ロバの皮』を発表した。
これらは1694年に『韻文童話集』(Contes en vers)に収録されて、出版された。
その後書いた8編の散文は1697年に、『教訓を伴う昔話またはコント集―鵞鳥おばさんのお話』(Histoires ou contes du temps passé, avec des moralités: Contes de ma mére l’Oye)というタイトルで刊行された。
この2つの童話集を総称して、通称『ペロー童話集』とされている。
このいわゆるペロー童話集に収められた散文は以下の8編。
- 「眠れる森の美女」
- 「赤ずきんちゃん」
- 「青ひげ」
- 「ねこ先生または長靴をはいた猫」
- 「仙女たち」
- 「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴(シンデレラ)」
- 「まき毛のリケ」
- 「親指小僧」
ぱっと見て、グリム童話と同じタイトルと見つけることができる。
「眠り森の美女」、「赤ずきんちゃん」や「シンデレラ」は、現在われわれが日常で目にする第7版グリム童話の中にも収められている。
また、「青ひげ」や「長靴をはいた猫」のようにグリム初版には収録されていたが、2版からは別のストーリーに差し替えられたものもある。
この差し替えについては、すでにペロー童話集に収められていたから、とか、残酷な描写や性的な描写が「子ども」の「教育の書」としてはふさわしくなかったから、とかが理由とされている。
確かに「青髭」なんかはかなり残酷な話だ。
ペロー童話集とグリム童話との違い
どうしてドイツとフランスの童話集に同じタイトルの話が含まれることになったのか。
それは、グリム童話に含まれたお話を提供してくれた人たちの先祖に由来する。
グリム兄弟の住んでいたドイツ中西部のヘッセン州はフランスに近かった。
そして、フランスからドイツに移り住んだユグノー教徒(新教徒)の子孫がたくさん定住していた。
そして、グリム兄弟が話を聞いたほとんどの女性たちがフランス人の先祖をもつ人たちだった。
彼女たちがペローのお話をそのままグリム兄弟に話したため、ドイツ由来ではない物語がグリム童話にまぎれこんでしまったと考えられる。
ペローの話を聞いて育った人たちがそれを自分たちの土地に伝わる民話として、グリム兄弟に話した。
そして、それらがドイツにも伝わる物語であると思ったグリム兄弟が、グリム童話の中に盛り込んでしまったのだ。
では、なぜペロー童話集に含まれていると、グリム童話から削除されてしまうのか?
また、なぜ2つの童話集では物語が微妙に異なるのだろうか?
そこにはグリム童話の成立背景が関わってくる。
グリム童話は、ドイツ人が、自分たちの文化やドイツ土着の民衆文化を見直すために作られた。
いわゆるドイツ人のためのドイツの物語。
それには、当時フランス革命とそれに続くナポレオンによるドイツ占領によって、ドイツに起こったナショナリズム高揚の動きが背景にある。
グリム童話とは、ドイツ人のナショナリズムを象徴するような物語であるはずなのだ。
一方、ペロー童話集は、そのような強い民族意識を根底にして集められたわけではない。
グリム童話がドイツの物語であることを重視しているのとは違い、ペロー童話集に収められたお話は、古くからヨーロッパ各地に伝承していた昔話、炉端話、伝説だ。
そして、ペローは、これらを読者に読みやすくなるようにアレンジした。
また、グリム童話とは違い、ペロー童話集では、各編の終わりに「教訓」が添えられている。
ペローは当時の風俗を反映させ、民間伝承を子どもにも親しみやすく書いた。
そのため、ペロー童話集は、子どもを意識して書かれた初めての児童文学であるとされている。
つまり、ペローの物語は純粋に民間伝承を伝えることよりも、それを文学としてたくさんの人々に伝えることに重点をおいた。
いわば当時のエンターテイメント。
今でいうマンガみたいな存在なのだろうか。
こうして、同じタイトルでも、内容が微妙に異なる「赤ずきんちゃん」や「シンデレラ」が誕生した。
しかし、生粋のドイツ昔話の中にフランスの詩人ペローが集めた物語が入り込むのはよろしくない……
そのような考えから、グリム兄弟はペロー童話に含まれている作品をいくつか削除したのだろう。
一方、ペロー童話集にありながら、現在のグリム童話の中にも含まれたままの作品もある。
その理由としては、結局、同じような話がドイツを含めたヨーロッパ中のどこにでもあるからなのだろう。
陸続きの大陸で、物語の起源や純粋性を主張することはかなり難しいのだ。
まとめ
グリム童話は、明治維新のタイミングで日本に紹介され、現在では日本人にとてもなじみのある童話集になっている。
しかし、その前にも、お茶の間に民間伝承を伝えるため、物語を集め、アレンジしたフランスの詩人シャルル・ペローがいた。
ペローのコレクションはグリム童話とは異なる点がいくつか見られる。
特に、それぞれの物語の最後に彼がどのような教訓を添えたのか、ぜひ、グリム童話と比べて読んでいただくと面白いだろう。
グリム兄弟については、こちらも参考までに。