「こびと」といえば、なんとなく可愛らしいイメージがあるかもしれませんが、本来はかなり不気味な存在です。
性格のいいこびとはもちろんいますが、なかには普通に人を襲う悪いこびともいます。
今回はグリム童話の中でも、「ちょっと怖いこびと」の話をしようと思います。
これは、KHM039『小人の靴屋』という童話に出てくるこびとたちの話です。
『小人の靴屋』は3部構成になっていて、第1、第2、第3とで、出てくるこびとも話も違います。
いずれも、よくよく考えたらじわじわと背筋がぞっとし、怖くなってくる……そんな話です。
じっくり話のシチュエーションを頭で想像しながら、ぜひ最後まで読んでみてください。
靴屋を助ける第1のこびとたち
第1のこびとは、タイトルにもなっている「靴屋」に現れます。
まずしい靴屋が、1足分の靴の革しかないという状態で、途方に暮れてしまい、どうしたらいいかわからずに一晩寝てしまいます。
そうすると、翌朝その靴が、とてもすばらしい仕上がりで、できあがっているというものです。
その靴が売れたおかげで、次の靴の材料も買うことができ、一晩寝るとまた名人芸のような靴がしあがっていて、それもどんどん売れていきます。
このサイクルがつづいて、最終的には靴屋が金持ちになるというストーリーです。
そして、いったい誰がこんなに靴を作ってくれているのか気になった靴屋の主人は、妻と2人で夜中に監視することになります。
そこで、2人のはだかのこびとが靴を作っているところを発見するのです。
このこびとたちは、とても親切心が強くて、はたらきもの。
夜のあいだずっと、靴を仕上げるためにせっせと2人だけでがんばってくれています。
それを見た靴屋の主人と妻は、こびとに服をプレゼントすることにします。
そして次の夜にこびとたちがそれを発見して、よろこんで去っていくという話です。
この第1の話に限っていえば、こびとたちはすごくいい人たちですね!
実は似たような話が、ピーターラビットで有名なビアトリクス・ポターの作品にも存在します。
『グロースターの仕立て屋』という物語です。
こちらはこびとではなくネズミが服を作ってくれるのですが、いずれにせよ、目覚めたら仕上がっているというパターンです。
たしかにうれしいといえばうれしいような……でも、よくよく考えたら知らない間に自分の仕事が終わっているというのも、少し怖い気もしますね。
とはいえ、実際にこんな場面に遭遇したら、やっぱり少し顔がほころんでしまうかもしれません。
というわけで、第1の話は良しとしましょう。
時空を超える第2のこびとたち
さて、第2の話は少しオカルトが入ってきます。
まずしい女中がゴミを処理していると、積み上げられたゴミ山の上である手紙を発見。
それを主人に読んでもらったところ、なんとこびとからの招待状だというのです。
なにが書いてあるかといえば、「赤ちゃんの名づけ親になってほしい」とのこと。
女中はそれを承諾すると、そこへ3人のこびとがやってきて、女中をこびとたちが住む山へと連れていってしまいます。
こびとに山へ連れていかれるという時点で、少しホラーな感じもしますね……。
さらにホラー臭をかき立てるのが、連れていかれた場所がとてもきれいで、快適なところだという点です。
薄気味悪い場所という描写よりも、連れていかれた場所がとてもきれいだと、天国のような感覚になって逆にちょっと不気味な気が……。
そして、女中はきちんと名付け親の役目を終えるのですが、こびとたちから3日間いてほしいと頼まれます。
その3日間、女中はみんなと楽しくワイワイ過ごしました。
で、問題はここから。
女中がこびとに連れられて山から出て、家に帰ってみると、そこから知らない人が出てきて、「おまえはだれだ」といわれてしまうのです。
自分のなじんだ家であるはずなのに、いきなり知らない人が出てくるのはなんとも不気味ですね。
そして、女中は驚愕の事実を知ることになります。
それは、女中がこびとたちと過ごしたのは3日間ではなく、「7年間」だったということ。
その7年の間で、前に仕えていた主人はもう亡くなってしまっていたのです。
筆者の個人的なことを言うと、「少ししか時間がたっていないのに、実は何年もすぎていた」というケースはすごく怖いです。
自分が知らない間になにもかもが変わってしまい、まるで自分がこの世にいなかったかのような感覚におちいってしまいます。
この第2のこびとの話を解釈してみるなら、こびとたちの世界と女中の世界(現実)とでは時空のねじれが生まれているということになるのでしょう。
時間の進み方が根本的に違うわけです。
- なぜそんなところに、こびとは女中をわざわざ連れてきたのか?
- なぜ主人と引き離し、死に目にも会えないような状態にしたのか?
このあたりは意見が分かれそうなところですが、もしそれをわざとやったのだとしたら、いたずら好きなこびとたちの悪い部分が見てとれる話だともいえますね。
主人の視点から見るのであれば、女中は出ていったまま、7年間なにも音沙汰なく、自分は一人で死んでいくしかなかったという状態。
どれほど慕っていたかはわかりませんが、心中察すると、いささか切ない気分にもなってしまいます……。
このような、「少ししか時間がたってないと思ったら、実はものすごい長さの年月が過ぎていました」というパターンの話はけっこうよくあるものです。
日本でいうならもちろん、『浦島太郎』が代表格ですね。
構成としては今回のこびとの話と似ている気もしますが、玉手箱のようなものがないので、女中には選択権がなかったともいえます。
まあ、玉手箱のようなものをプレゼントするのもなかなかひどい気もしますが……。
あと、SF映画でいえば、クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』はまさにこの時空のねじれをテーマにした、秀逸な作品ですね。
4次元や5次元ともからめながら、時間のずれを巧妙に描写しています。
オカルトではなく科学的な話ですが、この第2のこびとの話で起きたことがどんな感覚なのか、けっこうリアルに体感できるかもしれません。
気になる人はぜひチェックしてみてください。
子どもをさらう第3のこびとたち
いよいよ第3のこびとまでくると、やることがもう少し悪い方向へと進んでいきます。
第3のこびとたちは、子どもをさらっていくのです。
とある母親が、家に住みついているこびとたちに子どもを連れていかれてしまいます。
その代わりに、鬼のように目がギョロギョロした、頭の大きい子どもを置いていきます。
いわゆる、「取りかえっ子」というやつですね。
困った母親がおとなりさんにこのことを相談すると、その鬼の子をかまどに乗せて火を起こすようにと言います。
そして、たまごの殻にお湯をわかすようアドバイス。
それを見て「鬼の子が笑えば、それでおしまい」という、なんともシュールな助言です。
で、実際に鬼の子がたまごの殻でお湯をわかしているのを見て爆笑し(たしかに想像してみるとおもしろいかも……笑)、こびとたちがやってきて、鬼の子を連れて行ってしまいます。
そして、本当の子どもを代わりに置いていってくれるわけですが、ここが問題。
連れ去った子どもを返してくれるのはいいんですが、鬼の子が座っているのはかまどの上。
そう、こびとたちはかまどの上へ本当の子どもを置いてしまうのです。
具体的な描写はないですが、そのあとの末路は想像がつくと思います。
ぼうぼうに燃えたかまどの上で、子どもはどうなっていってしまったのか……。
そもそも子どもをさらっていってしまうというのも恐ろしいですが、それよりその子どもを返しに来て、わざわざかまどの火の上に置いてしまうというはさらに恐ろしい!
母親は目の前で焼かれていく子どもを見なければいけないわけですからね。
もちろんギリギリのところで助け出せたかもしれませんが、それはわかりません。
そして、このアドバイスをくれたおとなりさんが何者かというのもまた謎です。
もしかして、こびとがかまどの上に本当の子どもを置くことを知っていて、鬼の子を火の上に乗せるようアドバイスを……?
そういったところに想像をはりめぐらせてみると、なかなかに背筋がゾクゾクしてきます。
ちなみに、この「取りかえっ子」のネタは、もともとはヨーロッパに古く伝わる民話の一つです。
自分の子どもがいつのまにか醜い子どもに変わっていたという話ですね。
2008年には、これをモチーフにした『チェンジリング』という映画もありました。
アンジェリーナ・ジョリー主演で、本当にあった事件をもとに製作されているものです。
現実的なサスペンスではありますが、興味のある方はぜひ!
まとめ
今回は『小人の靴屋』に登場する3種類のこびとについて紹介させていただきました。
- 靴を作ってくれるこびと
- 時空のねじれを起こすこびと
- 子どもを取りかえてしまうこびと
です。
第1のこびとは親切なこびとですが、第2と第3のこびとの話はよくよく考えてみるとけっこう怖い話です。
グリム童話にはこのほかにも、こびとが出てくる話はたくさんあります。いろいろなタイプのこびとがいるので、ぜひ探ってみてください。
あなたの家にも、こびとは存在するかも……!?