『ほうちょうをもった手』は、いろいろ残酷すぎてグリム童話から削除

可愛い女の子に手を出そうものならば、その手を切り落とされてしまう……なんて恐ろしいグリム童話がある。

それが、もう今では削除されてしまった『ほうちょうをもった手』という物語だ。

 

『ほうちょうをもった手』は、もともとグリム童話初版の8番目に入っていた。

しかしながら、その7年後に出版された第2版では、すでに削除されている。

もともとはスコットランドのメルヘンだそうだ。

 

では一体、この話の何がそんなにまずかったのか?

そもそもタイトルから危なそうな気配を見せているが、本当のところの残酷さを注目してみよう。

 

妖魔が恋人の女の子

『ほうちょうをもった手』には、一人の女の子とその恋人が登場する。

だが、この恋人というのがなんと「妖魔」であるというのだ。

つまり、人間ではない。

 

ちなみに、日本語で「妖魔」と言うと、なんとなく「化け物」だったり、「妖怪」のようなイメージを抱くかもしれないが、原作の言葉では「Elfe」(エルフ)となっている。

『ハリー・ポッター』では奴隷にされていて、『ロード・オブ・ザ・リング』では美しき戦士である、あのエルフである。

『ほうちょうをもった手』ではどんなイメージなのか描かれていないが、とにかく人間ではない、妖精的な存在だ。

決して、悪いやつではない。

 

さて、主人公の女の子は、この妖魔以外にあまり信頼できる人がいない模様。

 

女の子には男の兄弟が3人いて、お母さん1人と暮らしている。

だが、お母さんは兄弟ばかりをかわいがっていて、女の子は働かされる毎日だった。

 

しかも、女の子の仕事は、荒れ地から泥炭を掘り起こしてくること。

けっこうタフである。

荒れ地まで歩いて、泥炭を掘り起こし、それをまた持って帰ってくるのだから、相当な肉体労働だ。

3人の兄弟がやっても、大変な仕事だっただろう。

 

そんな辛い毎日を送る女の子の心のよりどころが、仕事に行く途中の小山に住んでいる妖魔だったというわけだ。

 

妖魔が差し出す包丁

では、いったいこの妖魔は何をしていたのか。

それは、女の子に「包丁」を差し出すことである。

 

この包丁、すごい力が宿っていて、どんなものでもまっぷたつに切れる優れものなのだ。

某斬鉄剣を使いこなす十三代目石川五右衛門もびっくりである。

 

女の子はこの包丁のおかげで、泥炭を簡単に切り出すことができ、仕事もスムーズに進むというわけだ。

女の子にとって、これは救いの包丁。

妖魔は、女の子を救ってくれる白馬の王子様的な存在だろうか。

 

そういうわけで、女の子は毎日、仕事に行く前に妖魔の手から包丁をもらうことになっていた。

妖魔の住んでいる岩に行き、岩を2度たたくと、包丁をもった妖魔の手がにょきっと伸びて出てくる。

そこから、包丁を受け取って、泥炭を探しに向かうという流れができていた。

 

もちろん、母親たちはそんなことが行われているとはつゆ知らず。

毎日の密会、ということである。

 

包丁で切り落とされる手

さて、女の子がいとも簡単に泥炭を持ち帰ってくるので、さすがのお母さんもこれを怪しむことになる。

お母さんとしては、娘をもっと働かせたかったのだろう(もちろん、いじわるな意味で)。

 

しかし、娘が幸せそうな雰囲気を醸し出しているので、それが気にくわない。

そこで、3人の息子を偵察に向かわせるのである。

 

3人兄弟が女の子のあとをつけていくと、そこで妖魔から包丁を受け取るシーンを目撃することになる。

 

そこですかさず、3人兄弟たちは女の子からむりやりその包丁を取り上げる。

そして、兄弟は妖魔の岩のところへ行って、岩を2度たたくのだ。

 

岩を2度たたくのは、女の子が「来たよ」という合図。

もちろん、恋人である妖魔はにょきっと手を出してくる。

 

そして、やさしい妖魔の手が出てきたところを、兄弟は包丁で切り落としてしまうのだ。

 

なんでもまっぷたつに切れる包丁。

もちろん、妖魔の手だって完全に切り離されてしまう。

血だらけになった腕は、そのまま岩の奥へと引っ込んでいく……。

 

さて、ここで妖魔の気持ちを考えてみてほしい。

毎日毎日、恋人の女の子にやさしく手を差し伸べていたのに、その包丁で手が切り落とされてしまうのだ。

 

妖魔は手しか差し出していないから、誰が切り落としたかを見ることができない。

つまり、いつもどおり女の子が岩をたたいたのだと思って、女の子にやられたと勘違いしてしまう。

 

そして、物語は妖魔が姿を消したところで終わるのだ。

 

親切に女の子を助けていたのに、裏切られたと思った妖魔。

自分がやったのではないと伝えられなかった女の子。

 

この2人の永遠の別れは、包丁で手を切り落とされるよりも残酷なことだろう。

 

母親から見た解釈

『ほうちょうをもった手』が削除された理由は、おそらく残虐性だけが原因ではない。

実際、包丁で手を切られるなんて、残酷な描写の多いグリム童話の中ではもはや普通のことだ。

同じ手を切られる話だったら、KHM031『手なしむすめ』のほうがよっぽど残酷である。

 

だが、それでもこの話が削除されてしまったのは、おそらく「密会」のせいだろう。

 

200年前のヨーロッパは、男女関係にやたらと気を使う時代だ。

今のように、自由恋愛なんて許されていないわけである。

 

ましてや、一人の娘が小山で恋人と毎日会っているという設定は、やはり教育上よろしくないと考えられたのかもしれない。

 

しかも、その恋人は人間ではなく、妖魔だ。

人種を超えた男女関係というのも、問題視されたのだろうか。

 

うーん、しかしやはり恋人と会うのが引き裂かれた話だと考えると、気持ち的に残酷な物語だと言えるだろう。

(いや、もちろん包丁で手を切り落とされる描写も残酷だ)

 

はたまた、現代的に言うならば、「むやみに女の子に手を出すと、痛い目を見る」ということだろうか。

 

おそらく、この童話が書かれたころの教訓としては、女の子の密会を防ぐ意味のほうが強かったと思うが、今の時代にも置きかえられる教訓だろう。

現代に生きる我々にとっても、グリム童話から学べることはたくさんあるものだ。

 

まとめ

今回は、グリム童話集の初版に掲載され、のちに削除されてしまった『ほうちょうをもった手』を紹介した。

短い話だが、その中には当時のヨーロッパの男女関係を象徴するような描写になっている。

 

母親にしいたげられ、毎日せっせと働く女の子に、やさしく手を差し出す妖魔の恋人。

身内にその恋人の手を切り落とされてしまう女の子と、女の子に手を切られたと勘違いしてしまう妖魔。

2人の永遠の別れは、現代の恋愛モノに通じるような、残酷な物語である。

 

あなたはこの物語、どう考えるだろうか……?

 

 

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